平成20年3月10日月曜日

夭折の詩人 富永太郎


死が日常の断絶であるがゆえに、我々は夭折した詩人に気を引かれる。
彼は生きていたらどんなだったろうねとか、何をしたのかなという風に。だから、ゲーテは偉大だけれど夭折していたら、抒情詩人としての価値はもっと高かったに違いない。
誤解して欲しくないのだが、若死にしたことが無能な詩人に下駄をはかせて著名にしてくれるなどというつもりは毛頭ない。
凡庸な詩人が一編の詩を残して自殺したところで、詩そのものの感銘が深まるわけではない。
若死にが彼の詩才をいっそう輝かしく、哀切の思いを伴わせるということだ。そのような詩人は外国にも、わが国にもたくさんいるに違いない。

小林秀雄を読んでいたら、富永太郎のことが書かれていた。
小林秀雄の生活がまだ放埓であったころだ。富永と一緒に歩いている。富永が言う。「おい、此処を曲らう。こんな処で血を吐いちや馬鹿々々しいからな」

器械体操が得意で海軍士官にあこがれていた色白長身の美青年。そしていまは、死病といわれている肺結核をかかえた青年。若さと希望と死と。その混沌を生きた青年の言葉だ。

彼が二十歳の時に出会った八歳年長の人妻。彼は思いつめる。後に彼女は、「私はただお友達のつもりで、お付き合いしていました」と言う。

僕は富永に対して、詩よりもその手紙に引かれる。
「失敗したことよりも、またもとの自分---そして本当の自分の姿が見えて来たことが、僕を悲しくする。駄目な人間は何をやっても駄目......愛惜と憐憫と自己嘲笑との混合酒に・・・。」

「『俺は一体何がやりたいんだろう』といふことが全くわからなくなってしまった。」

「・・・夢をみた。入学試験だ。試験場の入口へ行くと、受験生が一人もみえない。入口にいる妙なぢゞいに『試験は八時からでしたね』ときくと、『いゝえ七時からですよ』」と言う。俺は黙つて帰つて来た。」

「・・・俺は何にも出来ない人間かもしれない。けれど今では相当の年齢まで生きたい。結婚はしないでも生きてゐられると思ふ。」

「頑固な不眠症がやって来て毎日三時ごろまで眠れない。ひるまはたまらなくぼんやりしてゐて、夜になるとまた冴えて来る。」

「夜は眠れないから、従つて朝は学校へ出られない。さうかといって、夜は夜で全く何も出来ない。すつかり駄目だ。・・・今日は一日寝てしまつた。」

「・・・きのふは俺の一周忌だつた。夜中椅子に腰かけたばこを吸つてばかりゐた。俺にふさはしい一周忌の法要かも知れない。酒が飲みたい。」

「俺からは何もかも奪はれてるんだ。時々激しい「怒り」の発作が襲つて来る。だが、こんなことはみんなつまらないことだ。つまらないことだ。」

大喀血をした彼は24歳で死ぬ。
没後、小林の追悼文の中に富永の言葉がある。
「おい、此処を曲らう。こんな処で血を吐いちや馬鹿々々しいからな」・・・
   (絵は富永太郎自画像)

平成20年3月4日火曜日

ヒラリー対オバマ

アメリカの大統領選挙戦はまるでお祭りのようだ。
運動員や支持者を大量に動員して、資力の勝負のようでもあるのはアメリカらしい。
しかも、今秋の選挙のためにはるか前から全力投球が続く。
過酷な過程だ。
ただ、この制度の中に優れた点を見出すことができる。
これだけ徹底的に競いあえば、僅少の差であっても優劣は見極められる。
合衆国大統領として職務を十分に果たせるか、その資質を十分に見極めることはなんとしても必要だ。能力の僅少の差は、その職の影響を考えれば重大だ。
さらに、この競い合いの中で、候補者は大統領としての資質を高めていくことができる。何が論点か、何をすべきか、いわば大統領見習いを選挙戦を通じて行うことができる。
かってのロシアでは、クレムリンのひな壇に誰がどの順で立つかによって、順位を世界に知らしめた。
こんなことに比べたら、アメリカははるかに開明的で健康的だ。

平成20年3月2日日曜日

ヒトラーの戦争


「シンドラーのリスト」を観た。
重すぎるくらいに重い。監督のスピルバーグがロシア系ユダヤ人であるということ。血縁者にジェノサイドの犠牲者がいるということ。監督としての報酬を受け取らなかったということは、彼にとって他人事ではなかったということだ。
これを渾身の作というのだろう。宮沢元首相の言った言葉がとても記憶に残っている。
「ドイツのように賢い国が二度も戦争をしたんですよ。」
ヒトラーは選挙によってあの地位についた。暴力によってではない。
国民がヒトラーを支持したんだ。勿論、そんなことをするとは思わなかった、という言い方もあるだろう。そういう事実もあるに違いない。
でもこんなのもある。
アウシュビッツだったかダッハウだったかだ。ドイツが破れ、絶滅収容所からかろうじて助け出された人たちがいた。その人達に向かって、周囲に住むドイツ人達が言う。
「申し訳ありません。私たちは何も知らなかったんです。」
ユダヤ人たちが低く答える。
「貴方たちは知っていた。何もかも知っていた。ナニモカモ・・・」

平成20年3月1日土曜日

言葉の意味

差別用語ってのがある。地理では、裏日本とか表日本とか言っていた。でもこれでは、例えば新潟や秋田の人は面白くないだろう。そこで、太平洋側とか日本海側というふうに改めた。表現が明確で公平で、分かりやすい。

いつでもそんなふうに行くわけでもない。
「立派」、と言えば褒めているのだけれど、「ご立派」となって、「ご」にアクセントがあれば喧嘩を売っているのかということになる。
丁寧語だって使い方ではいじめになる。
差別であるかないかは前後の文脈で判断すべきなんだ。
いじめ自殺なんかでも、「ただ遊んでいるのかと思った」なんていう意見もそれが見えていなかったということなのだ。
もしかして、見えていて見えない振りをするなんていうこともありうる。