死が日常の断絶であるがゆえに、我々は夭折した詩人に気を引かれる。
彼は生きていたらどんなだったろうねとか、何をしたのかなという風に。だから、ゲーテは偉大だけれど夭折していたら、抒情詩人としての価値はもっと高かったに違いない。
誤解して欲しくないのだが、若死にしたことが無能な詩人に下駄をはかせて著名にしてくれるなどというつもりは毛頭ない。
凡庸な詩人が一編の詩を残して自殺したところで、詩そのものの感銘が深まるわけではない。
若死にが彼の詩才をいっそう輝かしく、哀切の思いを伴わせるということだ。そのような詩人は外国にも、わが国にもたくさんいるに違いない。
小林秀雄を読んでいたら、富永太郎のことが書かれていた。
小林秀雄の生活がまだ放埓であったころだ。富永と一緒に歩いている。富永が言う。「おい、此処を曲らう。こんな処で血を吐いちや馬鹿々々しいからな」
器械体操が得意で海軍士官にあこがれていた色白長身の美青年。そしていまは、死病といわれている肺結核をかかえた青年。若さと希望と死と。その混沌を生きた青年の言葉だ。
彼が二十歳の時に出会った八歳年長の人妻。彼は思いつめる。後に彼女は、「私はただお友達のつもりで、お付き合いしていました」と言う。
僕は富永に対して、詩よりもその手紙に引かれる。
「失敗したことよりも、またもとの自分---そして本当の自分の姿が見えて来たことが、僕を悲しくする。駄目な人間は何をやっても駄目......愛惜と憐憫と自己嘲笑との混合酒に・・・。」
「『俺は一体何がやりたいんだろう』といふことが全くわからなくなってしまった。」
「・・・夢をみた。入学試験だ。試験場の入口へ行くと、受験生が一人もみえない。入口にいる妙なぢゞいに『試験は八時からでしたね』ときくと、『いゝえ七時からですよ』」と言う。俺は黙つて帰つて来た。」
「・・・俺は何にも出来ない人間かもしれない。けれど今では相当の年齢まで生きたい。結婚はしないでも生きてゐられると思ふ。」
「頑固な不眠症がやって来て毎日三時ごろまで眠れない。ひるまはたまらなくぼんやりしてゐて、夜になるとまた冴えて来る。」
「夜は眠れないから、従つて朝は学校へ出られない。さうかといって、夜は夜で全く何も出来ない。すつかり駄目だ。・・・今日は一日寝てしまつた。」
「・・・きのふは俺の一周忌だつた。夜中椅子に腰かけたばこを吸つてばかりゐた。俺にふさはしい一周忌の法要かも知れない。酒が飲みたい。」
「俺からは何もかも奪はれてるんだ。時々激しい「怒り」の発作が襲つて来る。だが、こんなことはみんなつまらないことだ。つまらないことだ。」
大喀血をした彼は24歳で死ぬ。
没後、小林の追悼文の中に富永の言葉がある。
「おい、此処を曲らう。こんな処で血を吐いちや馬鹿々々しいからな」・・・
彼は生きていたらどんなだったろうねとか、何をしたのかなという風に。だから、ゲーテは偉大だけれど夭折していたら、抒情詩人としての価値はもっと高かったに違いない。
誤解して欲しくないのだが、若死にしたことが無能な詩人に下駄をはかせて著名にしてくれるなどというつもりは毛頭ない。
凡庸な詩人が一編の詩を残して自殺したところで、詩そのものの感銘が深まるわけではない。
若死にが彼の詩才をいっそう輝かしく、哀切の思いを伴わせるということだ。そのような詩人は外国にも、わが国にもたくさんいるに違いない。
小林秀雄を読んでいたら、富永太郎のことが書かれていた。
小林秀雄の生活がまだ放埓であったころだ。富永と一緒に歩いている。富永が言う。「おい、此処を曲らう。こんな処で血を吐いちや馬鹿々々しいからな」
器械体操が得意で海軍士官にあこがれていた色白長身の美青年。そしていまは、死病といわれている肺結核をかかえた青年。若さと希望と死と。その混沌を生きた青年の言葉だ。
彼が二十歳の時に出会った八歳年長の人妻。彼は思いつめる。後に彼女は、「私はただお友達のつもりで、お付き合いしていました」と言う。
僕は富永に対して、詩よりもその手紙に引かれる。
「失敗したことよりも、またもとの自分---そして本当の自分の姿が見えて来たことが、僕を悲しくする。駄目な人間は何をやっても駄目......愛惜と憐憫と自己嘲笑との混合酒に・・・。」
「『俺は一体何がやりたいんだろう』といふことが全くわからなくなってしまった。」
「・・・夢をみた。入学試験だ。試験場の入口へ行くと、受験生が一人もみえない。入口にいる妙なぢゞいに『試験は八時からでしたね』ときくと、『いゝえ七時からですよ』」と言う。俺は黙つて帰つて来た。」
「・・・俺は何にも出来ない人間かもしれない。けれど今では相当の年齢まで生きたい。結婚はしないでも生きてゐられると思ふ。」
「頑固な不眠症がやって来て毎日三時ごろまで眠れない。ひるまはたまらなくぼんやりしてゐて、夜になるとまた冴えて来る。」
「夜は眠れないから、従つて朝は学校へ出られない。さうかといって、夜は夜で全く何も出来ない。すつかり駄目だ。・・・今日は一日寝てしまつた。」
「・・・きのふは俺の一周忌だつた。夜中椅子に腰かけたばこを吸つてばかりゐた。俺にふさはしい一周忌の法要かも知れない。酒が飲みたい。」
「俺からは何もかも奪はれてるんだ。時々激しい「怒り」の発作が襲つて来る。だが、こんなことはみんなつまらないことだ。つまらないことだ。」
大喀血をした彼は24歳で死ぬ。
没後、小林の追悼文の中に富永の言葉がある。
「おい、此処を曲らう。こんな処で血を吐いちや馬鹿々々しいからな」・・・
(絵は富永太郎自画像)