こういった場所はどこでもそうなのですが記念写真を後日送付する商いがあって、団体客は自分の運命も知らずに屠場につれてこられた鶏のように、華やいで整列します。カメラ係のお兄さんが一万回も繰り返したであろう香気の失せたジョークを感慨もなくしゃべくると、そのつど観光客がどっと沸く。見ていると、その落差のほうがよっぽどおかしい。室堂は混んでいました。なるほど、ここから日本の屋根に向かうのだなと山々を眺めて堪能して来ました。
平成20年11月20日木曜日
黒部から室堂へ (その2)
こういった場所はどこでもそうなのですが記念写真を後日送付する商いがあって、団体客は自分の運命も知らずに屠場につれてこられた鶏のように、華やいで整列します。カメラ係のお兄さんが一万回も繰り返したであろう香気の失せたジョークを感慨もなくしゃべくると、そのつど観光客がどっと沸く。見ていると、その落差のほうがよっぽどおかしい。室堂は混んでいました。なるほど、ここから日本の屋根に向かうのだなと山々を眺めて堪能して来ました。
黒部から室堂へ (その1)
J.P.サルトルとS.ボーヴォワールが来日したときに霧雨の降る明治神宮を案内され、この美しさは体験しなければわからないと何度もつぶやいていたそうな。同じことだったのでしょう。
幸いにダムは放水されていました。水音がまったく聞こえないのは、眼前に見えるのにそれほど距離があるということで、規模の雄大さにうたれます。このダムの工事の困難さは広く喧伝されていますが、初期のころの記録映画では熊が一瞬にして激流に飲まれていくシーンがありました。人をまったく寄せつけない厳しい自然と、それにもかかわらず挑戦する人知との長い厳しい戦いは映画化されるだけのものを持っています。
立山連峰の伏流水を抜きながら地層のない岩盤を薬剤で固め、命の上に命を塗り重ねるようにして数センチ単位で進んだであろう部分。バスではほんの短い時間なので想像力が必要なのだと強く思いました。
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